Mandy moore(マンディ・ムーア )70's~80'sのカヴァー・アルバム『Coverage』のオリジナル曲
『Coverage』(2003年)
アメリカのポップス歌手・女優、Mandy Moore(マンディ・ムーア)のカヴァー・アルバム『Coverage』収録曲の、オリジナル(原曲)をご紹介いたします!!
Mandy Mooreの『Coverage』は先日こちらでご紹介していますので、併せてチェックしてみて下さい(#^^#)
この『Coverage』で マンディがカヴァーしているのは、1970年代~80年代の名曲達。
そのオリジナル音源を全曲まとめてみました(*^^*
※アーティスト情報はWikiを参考に記載しています。
「Senses Working Overtime」
アーティスト:XTC
収録作品:『ENGLISH SETTLEMENT』(1982)
イングランド・ウィルトシャー州スウィンドン出身のロック・バンド。
ビートルズやザ・ビーチ・ボーイズといった英米問わず、オールディーズなポップスや、サイケデリック・ロックなどからの幅広い影響をもとに、その活動を通じてポップミュージックのオルタナティヴな可能性を追求した。
独特のポップセンスとこだわりに満ちたアレンジを志向しながらポップス・ロックとしてのフォーマットを損なわない大胆なアプローチは、のちのブリットポップ・ムーヴメントにも大きな影響を与えた。
「The Whole Of The Moon」
アーティスト:The Waterboys(ウォーターボーイズ)
収録作品:『This Is the Sea』(1985)
英国エジンバラ出身のバンド。
1983年にマイク・スコットによって結成される。
バンド名はルー・リードの曲の歌詞から名付けられた。
歌詞の評価が高く、現代のボブ・ディラン、スコットランドの吟遊詩人などと評されることも多い。
初期はニューヨーク・パンクの影響を受けたニュー・ウェイヴ・バンドとしてスタートし、U2フォロワー的な扱われ方もされていた。
しかし3rdアルバム『ディス・イズ・ザ・シー』で客演したアイルランド人フィドラー、スティーヴ・ウィッカム(U2の代表曲「Sunday Bloody Sunday」にてヴァイオリンを弾いていることで知られる)に影響を受け、アイルランドに移住してアイリッシュ・トラッド・ミュージックに傾倒する。
4枚目のアルバム『フィッシャーマンズ・ブルース』ではそのアイルランド伝統音楽を取り入れ、大きく作風が変化したため賛否両論を呼んだが、セールス的には一番の成功を収めた。
2016年4月19日、日本の漫画家であるろくでなし子がマイク・スコットとの婚約を発表したことで話題となった。
「Can We Still Be Friends」
アーティスト:Todd Rundgren(トッド・ラングレン)
収録作品:『With a Twist』(1997)
アメリカ合衆国のミュージシャン。
ジャンルにとらわれない幅広い音楽活動を行い、非常に多くの作品を発表している。
美しく切ないメロディを作り出すメロディメーカーとしてだけでなく、XTCやバッドフィンガー、グランド・ファンク・レイルロード、ジェシ・ウィンチェスターやザ・バンド、他にもホール&オーツなど数々の有名バンド・アーティストのプロデュースを行ったプロデューサーとして、また1970年代という早い段階から、自分ですべての楽器を演奏しヴォーカルをとる自宅録音を行うなど、マルチプレイヤーとしても知られている。
「I Feel The Earth Move」
アーティスト:Carole King(キャロル・キング)
収録作品:『Tapestry 』(1971)
1958年16歳でデビューし、1960年代初頭から夫ジェリー・ゴフィンとの夫婦共作で作家として大ヒット曲を連発した。
30歳を過ぎた1970年代には演者として母国の代表的歌手に昇り詰めた。
1960年代の作家としての初期の曲は20曲以上をチャートインさせ、その多くがスタンダード曲として世界中の数多くの歌手に歌われている。
キング自身がパフォーマーとして成功したのは1970年代になってからであり、ピアノを弾きながら一連のアルバムやコンサートで自作曲を歌った。
デビューアルバム『ライター』で商業的な失望を経験した後、キングはアルバム『つづれおり』でブレイクを記録した。
「Mona Lisas And Tatters」
アーティスト:Elton John(エルトン・ジョン)
収録作品:『Honky Chateau 』(1972)
youtu.beイギリスのミュージシャン、シンガー・ソングライター。
出生時の名前は、レジナルド・ケネス・ドワイト(英語: Reginald Kenneth Dwight)。
代表曲に「僕の歌は君の歌」「クロコダイル・ロック」「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」「ダニエル」「ベニーとジェッツ」などがある。
シングルとアルバムの総売り上げは2億5千万枚から3億枚以上とされており、これは「史上最も売れたアーティスト」で5位の記録とされる。
『グラミー賞』5回受賞(34回ノミネート)。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第38位。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第49位。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第45位。
パートナーは、カナダ人映画監督・プロデューサーのデヴィッド・ファーニッシュ。
「Drop The Pilot」
アーティスト:Joan Armatrading (ジョーン・アーマトレイディング)
収録作品:『The Key 』(1983)
フォークをベースに、ロック、レゲエなどあらゆる音楽のエッセンスを取り入れたシンガーソングライター。
西インド諸島から1958年にイギリスへ移住し、1972年にデビューした。フェアポート・コンヴェンションとの共演曲「ラヴ・アンド・アフェクション」が有名。
グラミー賞3度ノミネート、さらにBRITアワードで最優秀女性アーティストとしても2度ノミネートされた。
1996年にアイヴァー・ノヴェロ賞賞現代歌集賞を受賞。
約50年にわたるレコーディングのキャリアの中で、Armatradingは19枚のスタジオ・アルバムといくつかのライブ・アルバムとコンピレーションをリリースしている。
「Moonshadow」
アーティスト:Cat Stevens(キャット・スティーヴンス)
収録作品:『Teaser and The Firecat』(1971)
イギリスのミュージシャン、ユスフ・イスラム(Yusuf Islam、1948年7月21日 – )のかつての芸名。
彼はロンドン出身のシンガー・ソングライター、教育家、慈善活動家であり、イスラム教への改宗者としても知られている。
キャット・スティーヴンスとして1960年代後半以来世界中で6000万枚以上のアルバムを売り上げた。
スティーヴンスのアルバム『父と子』と『ティーザー・アンド・ファイヤーキャット』はアメリカ合衆国だけでそれぞれ300万枚以上のセールスを記録し、全米レコード協会によってトリプル・プラチナムに認定されている。
栄光の頂点にあった1977年に、スティーヴンスはイスラム教に改宗する。
その翌年に自らの名前をユスフ・イスラムに改めた彼は、ムスリム共同体の教育問題や慈善活動に身を捧げるために音楽業界を離れた。
それから28年後の2006年にポピュラー・ミュージック界に復帰し、『アン・アザー・カップ』と題されたアルバムをリリースしている。
「One Way Or Another」
アーティスト:Blondie(ブロンディ)
収録作品:『PARALLEL LINES』(1979)
アメリカ合衆国出身のロック・バンド。
女性ボーカリスト デボラ・ハリーが在籍し、1970年代末から隆盛した「ニュー・ウェイヴ」の代表的グループとして知られる。
1982年に一度解散したが、1997年に再結成。
全世界のアルバム・セールスは4000万枚以上。
2006年『ロックの殿堂』入り。
1974年、ガールズ・バンド「スティレットーズ」に所属していたデボラ・ハリーと、バックバンドにいたクリス・シュタインが中心となって結成された。
「ブロンディ」というバンド名は通りがかりのトラックの運転手がデボラにかけた言葉("Hey Blondie"=「よぉ、ブロンドのお姉ちゃん」)に由来する。
1975年にはデボラ・ハリー、シュタイン、クレム・バーク、ジミー・デストリ、ゲイリー・バレンタインというメジャーデビュー時のメンバーが揃い、CBGBなどのニューヨークの有名クラブに出演することで徐々に地元で人気を獲得していく。
1976年にデビュー・アルバム『妖女ブロンディ』発表。
1979年、シングル曲「ハート・オブ・グラス」のヒットにより一躍、人気バンドとなった。
「Braking Us In Two」
アーティスト:Joe Jackson(ジョー・ジャクソン)
収録作品:『Night & Day』(1982)
イギリス出身のミュージシャン。
ピアニスト兼音楽監督としてクラブで働くようになる。
この頃から自ら制作したデモ・テープをレコード会社に送り始める。
1978年に、A&Mレコードのプロデューサー、デヴィッド・カーシェンバウムがジャクソンの曲に目をつけ、レコーディングのチャンスを得た。
それが、1979年にリリースされたデビュー・アルバム「ルック・シャープ(Look Sharp!)」で、収録曲「ゴット・ザ・タイム」はアンスラックスによるカバー・バージョンでも知られる。
1980年には、「アイム・ザ・マン(I'm the Man)」と 「ビート・クレイジー(Beat Crazy)」を立て続けにリリースする。
「ビート・クレイジー」では、プリンス・リンカーン・トンプソンとコラボレートし、レゲエを取り入れている。
その後、数年間続いたツアーで腺熱を患い、ポーツマスの自宅で静養していたジョー・ジャクソンは、スウィング・ジャズの発展形であるジャイブ・ミュージックのレコードを毎日のように聴き、回復後ジャイブに挑戦しその結果Jumpin' Jiveを1981年にリリース。
1982年にはラテン音楽に惹かれてNY渡り、「ナイト・アンド・デイ(Night and Day)」をリリースする。
このアルバムに収録されている「夜の街へ(Steppin' Out)」は、最もよく知られた曲である。
「夜の街へ」は、ビルボード(Billboard)誌で、1982年12月11日に、週間ランキング最高位の第6位を獲得。
1982年ビルボード誌年間ランキングでは第36位。
「Anticipation」
アーティスト:Carly Simon(カーリー・サイモン)
収録作品:『Anticipation 』(1971)
アメリカ出身のシンガーソングライター。
ニューヨーク出身でとても裕福な家庭の子女として育った。
父親は米国の大手出版社サイモン&シュスター創業者のリチャード・L・サイモン。1964年に姉のルーシーとフォーク・デュオのサイモン・シスターズを結成する。
1971年にソロ・デビューを果たし、「幸福のノクターン」がヒットした。
同年のグラミー賞最優秀新人賞を受賞。
1980年代には『アカデミー賞』を受賞するなど、米国の代表的アーティストとして知られる。
1988年度『アカデミー歌曲賞』受賞。
1994年にソングライターの殿堂入りを果たし。
「Help Me」
アーティスト:Joni Mitchell(ジョニ・ミッチェル)
収録作品『Court & Spark』(1974)
カナダの歌手、シンガーソングライター。
出生名はロバータ・ジョーン・アンダーソン(Roberta Joan Anderson)。
フォーク、ポップ、ロック、ジャズから導き出されたミッチェルの歌は、ロマンス、混乱、幻滅、喜びに対する感情だけでなく、社会的および環境的な理想をも反映していることがある。
彼女は9つのグラミー賞や1997年のロックンロールの殿堂入りなど、多くの称賛を受けている。
ローリング・ストーン誌はミッチェルを「史上最高のソングライターの1人」と呼び、オールミュージックは「土ぼこりが落ち着いたときには、ジョニミッチェルが20世紀後半の最も重要で影響力のある女性のレコーディングアーティストとして立っているだろう」と明言した。
痔に・ミッチェルは、オンタリオ州トロントでの路上演奏とストリートでの演奏の前にサスカチュワン州サスカトゥーンとカナダ西部の小さなナイトクラブで歌い始めた。
1965年、ミッチェルはアメリカに移り、ツアーを始めた。
ミッチェルのオリジナル曲のいくつか(「アージ・フォー・ゴーイング」、「チェルシーの朝」、「青春の光と影」、「サークル・ゲーム」)は他のフォークシンガーによってカバーされ、これがリプリーズ・レコードとの契約と1968年のデビューアルバムに結びついた。
ミッチェルは南カリフォルニアに定住し、「ビッグ・イエロー・タクシー」や「ウッドストック」などの人気曲で時代と世代を定義した。
1971年のアルバム『ブルー』は史上最高のアルバムの1つとしてよく引き合いに出されており、これは「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500」のリストでこれまでに作成された30番目に優れたアルバムと評価されている。
2000年、ニューヨーク・タイムズは「20世紀のポピュラー音楽の転換点と頂点」を表す25枚のアルバムの1枚として『ブルー』を選択した。
2017年、NPRは「女性が作った偉大なアルバム」のリストで『ブルー』を1位にランキングした。
ミッチェルの5枚目のアルバム『バラにおくる』は1972年にリリースされた。
その後、彼女はレーベルを乗り替え、ラジオでのヒット曲「ヘルプ・ミー」と「パリの自由人」を含み、ミッチェルの最多販売アルバムとなった1974年の『コート・アンド・スパーク』でジャズの影響を受けたメロディックなアイデアを、ポップな質感で探求し始めた。
「Have A Little Faith In Me」
アーティスト:John Hiatt(ジョン・ハイアット)
収録作品:『Bring the Family』(1987)
アメリカのシンガーソングライター、ミュージシャン。
彼は、彼のアルバムに様々な音楽スタイルを取り入れている。
(ニューウェーブを含む、ブルース、そして、カントリーなど)
Hiattは9つのグラミー賞にノミネートされ、音楽業界で様々な他の区別を受賞しています。
1973年にエピック・レコードと契約し、その年の後半に彼の最初のシングル「We Make Spirit」をリリース。
同年デビューアルバム『Hangin Around The Observatory』を発表。
「Sure As I'm SIttin' Here」は、スリー・ドッグ・ナイトによってカバーされ、トップ20ヒットを記録した。
それぞれ個性的で素敵な曲ですね…。
マンディの選曲のセンスが光ります(*^^*)
Mandy Moore(マンディ・ムーア)のカヴァーとオリジナルを交互に聴き比べてみるのも良さそうです!(#^^#)